Collaboration With Junichi Takahashi Vol.4

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Collaboration with Junichi Takahashi Vol.4 『月讀尊』

写真家 たかはしじゅんいち氏とのコラボレーション制作、第4作目のグラフィックです。これまでのグラフィックにも手を加えており、こちらに一覧して掲載しています。

写真の黒く塗られた面を想像力で補完できる部分が多く、模索することをまず楽しんでから着手することができました。アジア的な雰囲気が中性的なイメージと目の周りの模様によって中和されたのが新鮮な発見のひとつです。

人物やひとつひとつのオブジェクトが持つ特性を限界まで高めつつ、単体のオブジェクトだけでもイメージが成立するように、ただそれらが自然と溶け合うように心がけました。

元となった写真は、下記たかはしじゅんいち氏のポートフォリオサイト、表紙に掲載されていますのでぜひご覧ください。

JUNICHI TAKAHASHI Web Portfolio

写真家 たかはし じゅんいち | Junichi Takahashi

新潟県新潟市出身。写真家・立木義浩に師事。1988年、フリーランスの写真家として独立、翌年よりNew Yorkに拠点を置く。2004年からは東京にも拠点を置き、国内活動を積極的に展開。以来NY&東京の2重(住?)生活をしている。今年は活動20周年、来年は渡米20周年を迎える。

ポートレイトを中心に、広告、音楽、ビューティー、雑誌等において幅広く活動。1995年からは世界的エンターテインメント集団「STOMP」のオフィシャルフォトグラファーを務め、Jennifer Lopez、Maxwell、Baby Face、Marc Anthonyなどミュージシャン達のCDジャケットや雑誌掲載写真を撮り下ろす。2002年2月には、坂本龍一氏によるプロジェクト「Elephantism」撮影のためにケニアへ。最近では、宮本亜門氏演出の舞台「トゥーランドット」のポスタービジュアルほか、Johnson& Johnson「ワンデーアキュビュー」等の広告写真を手がける。

1995年からのライフワークとして、NYの伝説的ホテル Chelsea hotelの住人達をはじめ、アーティスト・ポートレートの撮影は現在も続行中。撮影旅行は、ペルー、ネパール、南アフリカ、アイルランド、ケニヤ、英国、トルコ、ギリシャ、 etc. “日本在住写真家”として、“NY在住フォトグラファー”として、国境を越えた活動を展開、常に世界を移動し続けている。

左目と右目の色温度はそれぞれ6500Kと9500Kくらい、ガンマ値は右目の方が若干高く、視野角は左目の方が数倍広い。この両方を使い分けてきたが、今回マルチモニタ環境を1000円足らずで構築できたことから、左右が目と逆というだけで全く同じ設定が実現できてしまった。4つの点から伸びた線は頭の中で砂時計のような模様を描き、4本の線の交差する中心が実像であり、あくまで想像の内にしかないものである。

アメリカでは走っている車から見える建造物の高さや面積を測り、ノートPC上で算出した数値をリアルタイムに現実の風景に重ね合わせて映し出す技術が開発されている。これから機械や薬物などで身体的特徴の欠損した部分を補完したり、あるいは余分に拡張したりといったことが当たり前のようになるんだろうと思うし、そういった時代にも変わらず求められるのは、触覚や脳波で対象を認識するといった、現代の私たちが日常で当たり前のように使っている能力かもしれない。昼も夜も明るいのに既に盲目になりつつある世界、これからも変わらず必要なのは、未知のものへの好奇心や、それに届かずとも手を伸ばそうと試みる渇望だと私は思う。

例えば神と一般に称されるものを、古代人の恐怖が生み出した迷妄の一種として片付けてしまうのは簡単だが、私たちから見て相対的に時間の流れが遅い場所に、ある特定の法則を持った素粒子の結合体がいたところで誰も困らないし、寧ろ平坦な日常に光明が差して、コスモポリタニズムの具現化にも繋がり有り難いのではないだろうか。現に巨大な重力源であるブラックホールの境界では時間の流れが止まってしまうのだから、重力という未だ正体不明な力の都合の良いところだけ捉えて解釈すれば、永久不変の存在も居ないとは言い切れない。問題は私たちが発見される確率、距離と時間だが、意識を常々どこに置いているかが重要だと思う。

2次元の住人が平面を認識することができないように、私たちがもし3次元(空間)の住人だとしたら、立体を捉えることは不可能なはずである。とすれば、私たちの実体はどこにあるのかといつも不思議に感じ、薄皮一枚を隔てた空間に思いを馳せて制作している。今回制作している過程で気づいたのは、写真を素材として現実に有り得ないものを構築できるのがフォトコラージュの利点であるという至極当然のことだった。

他次元への挑戦という意味では、作家の埴谷雄高氏が著書『死霊』についてNHKで述べた際、未来に火星人が地球に降りてきてこの本を発掘した時に、人類もまあまあ頑張ったんだなと思ってくれたならと語っていたのを思い出す。「自同律の不快」という言葉を用いて、「私は私である」といった同一律への疑問を投げかけ、深遠かつ壮大な形而上学的思索を繰り広げた著書の中で最も印象に残っているのは、第3章で霧のたちこめた橋の上を無数の影法師たちが行き交う場面と、晩年に書かれた第7章で黙狂の矢場徹吾が釈迦とキリストを断罪する場面だった。核心に近づくにつれて美しかった文章も支離滅裂なものとなるが、何より心を打たれたのは著者の努力の過程そのものだった。そして結末から先は全ての読者に委ねられることとなる。

今後は先人の築いたロジックや近代のテクニックも取り入れつつ、歴史に埋もれてしまったものやこれから埋もれてしまうだろうものを、もっと精彩に力強く排出していけたらと思っている。

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